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自分だけ大事にすると 心は苦しくなる

役立つ仏教知識

おはようございます・こんにちは・こんばんは

仏光です。

「もっと自分を大事にしていいんだよ」

最近は自己啓発の世界やSNSでも

そんな言葉をよく目にします。

確かに、自分を犠牲にしてまで他人に尽くし 心も体も壊してしまうのは本末転倒。

自分を大切にすることは 健やかに生きるために必要な姿勢でしょう。

けれどもお釈迦さまは その一歩先を見据えた言葉を残されています。

「自分だけを大事にしようとすると

 怒りや 憎しみ・悲しみが湧いてくるものです。」

この言葉は 現代を生きる私たちの心に非常に響くもの。

なぜ「自分だけ」を大事にすることが かえって苦しみを生むのか。

本記事では、この言葉をひも解きながら

自分も他人も幸せにする生き方について考えてみたいと思います。

もちろん誰しも「自分を守りたい」という気持ちを持っています。

それは自然な本能です。

しかし「自分だけ」を優先する生き方を続けていると

気づかぬうちに周りから距離を置かれます。

  • 損得勘定でしか人と関わらない

  • 自分の利益が最優先で、他人の気持ちに鈍感になる

  • 相手が困っていても「自分には関係ない」と突き放す

最初は「自分のペースで生きられて楽だ」

と感じるかもしれません。

けれど やがて心に広がっていくのは孤独。

なぜなら 人は誰かと「つながり」を感じるときにこそ

深い喜びを得られるからです。

自分の殻に閉じこもれば守れるものもあるでしょうが

その代償として「信頼」や「支え合い」という

大切な財産を失ってしまいます。

では「自分だけ大事にする」となぜ怒りが生まれるのでしょうか。

たとえば、こんな場面を思い浮かべてください。

  • 自分の思い通りに人が動いてくれないと腹が立つ

  • 期待していた言葉をもらえないとイライラする

  • 誰かの成功を「自分ばかり損している」と感じてしまう

これらの怒りの根っこにあるのは

「自分が一番でありたい」という執着です。

自分の都合、自分の満足、自分の優先。

それが叶わないとき 私たちは不満を抱え

怒りに燃えてしまうのです。

お釈迦さまは 怒りを「心を焼き尽くす火」にたとえました。

自分だけを大事にしていればいるほど

その火は大きく燃え上がり やがて自分自身をも焼き尽くしてしまいます。

怒りだけではありません。

悲しみもまた「自分だけ大事にする心」から生まれます。

たとえば、

  • 「どうして自分だけこんな目に遭うのか」と思う

  • 「誰も自分をわかってくれない」と嘆く

  • 「自分だけが不幸だ」と感じる

こうした思い込みは、心を暗く閉ざしていきます。

しかし冷静に見れば

誰もが悩みや苦しみを抱えて生きています。

決して自分だけが特別に不幸なのではありません。

ところが「自分だけ」を大事にしていると

視野が狭まり 他人の苦しみに気づけなくなる。

結果として、自分の悲しみばかりが強調され

ますます孤独を深めてしまうのです。

では、どうすれば「自分だけ大事にする心」から自由になれるのでしょうか。

お釈迦さまは「慈悲の心」を実践することを勧められました。

慈悲とは 他者の幸せを願い 苦しみを取り除こうとする心です。

たとえば

  • 誰かの小さな成功を喜ぶ

  • 人の困難に共感し、できる範囲で支える

  • 相手の立場に立って物事を考える

こうした行いを重ねると

不思議なことに自分の心も満たされていきます。

心理学でも「利他行動は幸福感を高める」と証明されています。

お釈迦さまの時代から現代に至るまで

人の心の本質は変わりません。

「自分だけ」ではなく「自分も他人も」を大事にするとき

心は本当の安らぎを得るのです。

お釈迦さまの言葉

「自分だけ大事にすると、怒りや悲しみが湧いてくるのです。」

これは、人間関係や社会で悩む私たちへの深いメッセージです。

  • 自分だけを守ろうとすると孤独になる

  • 自分中心の思いは怒りを招く

  • 自分だけが不幸だと思うと悲しみに沈む

けれども 他者を思い 共に生きようとする心を持ったとき

人生は驚くほど穏やかに変わっていきます。

本当の幸せとは「自分だけのもの」ではなく

「誰かと分かち合えるもの」。

その気づきを日々の中に育てていくことが

仏教が示す自己啓発の道なのです。

今日もどうか 自分も他人も大事にする一日をお過ごしください。

合掌