本当の老人にならないために

手を広げる老人 役立つ仏教知識
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おはようございます・こんにちは・こんばんは

老夫婦

Ichiです。

皆さん 老人 という言葉を聞いてどんな人をイメージしますか?

「心身が衰えている人」

「古い時代の人」

「人生の終わりに向かいつつある人」

歳をとった方に使われる言葉のイメージがありますよね?

しかし仏教的な意味では 老人 という言葉はただ単に歳を取った人を表すものではありません。

お釈迦さまはこう仰っています。

 

「自分が年老いてきたことを嘆いているだけの人が老人だ

まだまだ自分はやれる!と思っている人はずっと老人にならない」

 

皆さんは社会人になった時・自分の家族を持った時に

「もう頑張ることは必要ない これからは仕事・子育てをしてなんとなく生きていけばいい」

こう考え 自分の可能性に見切りをつけ なんとなく日々を過ごしていませんか?

自分から学ぶことをやめ スマホを見たり・お酒を飲んだり 短絡的な娯楽で日々を満足していませんか?

こんな方々が必ず口にする言葉が

「1年はあっという間だなー」です。

人は自分で考えることが減少すればするほど 人生に満足感を得ることができなくなっていきます。

自分の可能性を 自分で否定するような行動を全て 歳のせいにしているのです。

今の世を見渡せば 若くても自分の可能性を諦めてしまった 老人 がどんどん増え続けています。

スマートフォンという自分の可能性を何倍にもしてくれるツールを持っていながら 自分の大切な時間をただ浪費するという使い方をしてします。

老人と若い人

老人という状態は歳が若い・若くないは関係ありません。

自分の頭で考えることをやめた人 それを歳のせいと言い訳する人が本当の老人なのです。

では私たちはどう生きれば老人にならないのでしょうか?

それは 自分の学びをやめず 自分が歳をとったせいにせず 他の人のせいにもしない こと

この状態を維持することができれば私たちは ずっと老人にならなくてすむのです。

これを意識して人生を歩んでいかないと 人生の可能性がなくなってしまったことを自分の歳のせい・周りの人のせいにして八つ当たりをすることしかできなくなる人。

いわゆる 老害 と言われる人になってしまいます。

こんな寂しい生き方したくありませんよね?

私たちは常に学ぶ努力をし続けなければなりません。自分はまだやれると自分を励まし続けるのです。

歳をとっても学ぶことはできるし 自分の可能性は常に残されています。

皆さん 自分の可能性を信じましょう。私たちの人生はまだまだこれからです。

「今この瞬間の自分が 一番若い!」こう考え常に貪欲に学び続けましょう。

私も学び続け・発信し続けます。歳のせいだと 言い訳はしません。

本当の老人にならないよう一緒に頑張りましょう。

合掌

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