おはようございます・こんにちは・こんばんは
Ichi です。
日常生活・葬儀・法要・お墓参りや仏壇の前で 私たちは手を合わせます。
当然のように行っている所作ですが なぜ合掌をするのか みなさんはその意味を考えたことがありますか?
今回は合掌の意味や由来などについて、お話ししてみたいと思います。
合掌は古代インドで使われていたサンスクリット語のアンジャリañjaliという言葉を訳したものです。
胸や額の前で両手の手のひらを合わせて相手への敬意を表します。
仏教が起こるよりも前から インドでは合掌の姿で挨拶が存在したと言われています。
仏教では仏様を拝む時 両方の掌(手)を合わせます。
この作法を合掌礼拝と言います。
もともと合掌とはインド古来の礼法で仏教徒が顔や胸の前で両手の掌や指を合わせ お釈迦さま・菩薩(悟りを求め多くの修行を重ねる者)さまを拝むことを意味しました。
それが中国から仏教を通じて日本に持ち込まれたと考えられています。
日本では 日常生活の中において手を合わせることもあります。
食事の前に「いただきます」と言って目の前の食事に対して手を合わせますが これは食べ物となった生命に対してありがたくいただく という気持ちを込めて合掌します。
インドやアジアでは挨拶として合掌が使われています。
すれ違う時・別れる時などに合掌をして軽く会釈をすることで 相手への敬意を表し 敵意がないことを伝えるという意味もあります。
日常生活の中で行われる合掌には「感謝」と「敬意」を伝えるものなのです。
仏教的 合掌礼拝には
「仏様を心から敬い 仏様の教えに帰依
(神仏を尊いものとして崇め その教えを拠り所として守ること)
します」
という意味が込められています。
昔から右の掌は仏様・左の掌は我々凡夫(仏教の教えを理解していない人)を表し
合掌によって仏様と我々が一つになると言われてきました。
インドでは右手は清らかなもの・左手は不浄なものとして扱われていますよね。
掌を合わせて 一心に仏様を拝む時 仏様の心と交流出来るのです。
つまり葬儀などにおける合掌とは 仏様と人間が一体となり 成仏を願う気持ちを表したものなのです。
私たちの心はいつも不安を感じていて 何かにすがり・依存する事を求めています。
しかし 私たちは何にもすがってはいけないですし・依存してもいけません。
それでは人の心は満たされないのです。
ただ自分で判断しなくて良いだけで 人生はまったく好転していきません。
人生を生きていく為には道標が必要です。
私たちは常に沢山の煩悩に惑わされ 心が揺れてしまっているからです。
私たちは何を道標にして どう生きていけば良いのでしょうか?
そうです 仏様に帰依すれば良いのです。
帰依とは すがり・依存することではありません。
仏様を拠り所にするのです。
仏様の教えを道標にして自分自身で人生を切り開いていくのです。
右手と左手は一緒の大きさですよね?
つまり仏様と私たちは対等で共に生きているのです。
すがり・依存するのではなく人生で迷い・悩んだ時に教えをこい それを自分の中に取り入れて人生の道を修正してくのです。
仏様との対話に合掌を用いる。
静かに目を閉じて自分の心と仏様に問いかけ 仏様の教えを思い出し 自分の人生の歩みを心静かに見つめるのです。
感謝する時に合掌を用いる。
これは仏様と共に感謝をしてるのです。感謝の気持ちを仏様と共有しているのです。
感謝の時に合掌をするというのは相手だけではなく 自分の心も清められるとても素敵な行為なのです。
是非 皆さまには合掌の意味を理解していただいて
お寺の本尊さま(寺院にある最も大切な信仰の対象として安置される仏像)
そして皆様のご先祖さまがいらっしゃいます お墓・仏壇に手を合わせていただければと思います。
合掌