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当たり前と素直に思えたら生きるのが楽になる

芽吹く芽役立つ仏教知識

おはようございます・こんにちは・こんばんは

大木

Ichiです。

 

「人生の起きることを当たり前の結果だと 素直に受け入れることができれば

生きるのが楽になり 楽しさが増えるぞ」

 

お釈迦さまの言葉です。

私たちはどうしても自分が特別な存在だと思ってしまい 自分に甘く生きています。

自分の努力・挑戦は全て成功するものと考え 失敗することを受け入れることができません。

努力が足りなくて失敗した結果を 当たり前の結果として受け入れられないのです。

その理由を自分には才能がないとか 周りの環境のせいだとか 周りにいる人間関係のせいにして自分を守っているのです。

例えば

週に一日 程度しかテニスをしていない人が 週に六日 テニスをしている人に試合で負けたとします。

これは当たり前の結果と言えますよね?練習の量があきらかに違うのですから。

負けた方は自分の練習の少なさを素直に認め 改善の方法を探すべきです。

しかし 私たちはなかなか自分が負けたということを受け入れません。

「たまたま調子が悪かった」

「テニスの才能が自分にはないからしょうがない」

こう考え自分の努力のなさに向き合うことをせず 他の要因のせいにしてまた同じような日々を過ごしてしまうのです。

私たちの身の回りに起きることは自然が要因なもの以外は全て 当たり前の結果でできているのです。

前の日に早く寝なければ 次の日朝起きるの辛いですよね?

勉強する量が少なければ テストの点数は伸びませんよね?

他の人に連絡しなければ 他の人から連絡は来ませんよね?

全て当たり前の結果なのです。

紅葉

私たちは誰一人 特別な存在ではないのです。

努力が足りなくて物事が上手くいかないのは当たり前なのです 当然の結果なのです。

自分だけ優遇されているわけではないのです この事実をしっかり受け入れましょう。

自分は特別な存在ではない 普通の存在なんだと認めることは自分の価値を否定するように感じかもしれませんが むしろ逆なのです。

なぜでしょう?

それは全ての結果を自分の努力不足が原因と考えることができるからです。

それは自分の才能不足ではないと思えるからです。

怒った失敗の要因を自分自身の才能にしてしまうと もう改善する余地がありません 自分の存在を否定し・自信をなくしてしまいます。

しかし 努力不足と考えることができれば完全の余地はいくらでもあります。その方法を模索することはやり甲斐があり・楽しさに繋がったりします。

皆さん 自分の起きたことを素直に当たり前と思える勇気を持ちましょう。

全ては自分の努力の結果なのです。受け入れ・改善する方法を考えましょう。

自分存在を否定せず 努力の質を上げましょう。

そう考えれば人生を良くするためにやれることがまだまだあります。

楽しんで自分の結果を良いものにしてくれる努力を続けましょう。

合掌