「分からない」と言える勇気を持つ

コップの中の疑問 役立つ仏教知識
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おはようございます・こんにちは・こんばんは

悩む サラリーマン

Ichiです。

皆さんは自分で分からない事を他の人に

「すいません 分からないので説明してもらえますか?」

と言える勇気を持っていますか?

最初から自分で理解しようとせず・調べることをしないで いきなり人に聞くことは自分の成長に繋がらないのであまり良いことではありませんが

自分の力ではどうしても出来ない問題も出てきてしまうのが人生です。

お釈迦様はこう仰っています。

 

「自分の解けないことを

自分のプライド守るために無理やり解こうとするのがこだわりだ

「分からない」と言える勇気も時には必要である」

 

私たちは人に自分の弱いところを見せることを嫌います。

人にわからない事を聞くということは 自分が無知であると相手に思われてしまうかもしれないので自分の力だけでどうにか問題を解決しようとします。

確かに分からない事を質問すると

「なんだよ そんなのも分からないの」

と上から目線で自分の事を見てくる方いらっしゃいますよね。

一度でもそう言われてしまうと 他の人に自分の分からない事を聞くことが怖くなってしまいます。

また自分が下に見られるという 屈辱を味わなければなりませんから。

しかし 皆さん人に聞くことを躊躇して分からない事を自分の力で無理やり取り組み 大失敗して人に聞いて恥をかく以上の屈辱を受けた経験があったりしませんか?

自分でしっかりと調べて分からないことは 自分の考えから離れたところに正解がある可能性が高いものです。

自分の考えから離れた正解を導き出すことは容易なことではありません。

「やっと正解が見つかった!」と思ってもそれは自分の中にあるものでしかなかったりするものです。

分からないこと

私は書道教室に通っていて気付いたことがあります。

それは書道教室に行くだけでは自分の字は全然上達しない

上達するためには先生のもとに自分の書いた字を持っていき・指導を受け

それをもとに自分の字を改善することで字は上手くなる。

人生にも同じことが言えるのではないかと思うのです。

人はどうしても自分のプライドを守りたいために 自分の今していることを否定するようなことを避け自分の行動を改善しようとしません。

しかし自分の人生を向上させるためには他の人の考えを取り入れ 今の自分の行動を改善し続けることが必要なのです。

そのために人に分からないと言える勇気が必要なのです。

皆さん 自分の人生をより改善するために自分の考えでは通じないことは素直に他の人の助言を借りましょう。

人に分からない事を聞くことは屈辱ではありませんよ 自分の人生を改善してくれるものとして意見を求めましょう。

それができれば自分の人生はより良いものになっていくはずです。

自分の字は一人で黙々と書いていても自分の字のままですよ。

他の人に見てもらって自分の字を改善し続け より良い字を目指しましょう。

合掌

 

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