おはようございます・こんにちは・こんばんは
Ichiです。
お釈迦さまは悟りを開いた後 真っ先に「一切皆苦」(人生は思い通りにならない)とお説きになりました。
『一切皆苦についてはこの記事を参照してください』
この苦には四苦八苦という考えがあります。
その中の一つの苦が怨憎会苦です。
怨憎会苦とは嫌いなものと会わなくてはならないという苦しみです。
この世の中を見渡してみると自分を不快な気持ちにさせる物が数多く存在しています。
嫌いな人
自分の口に合わない味
耳障りな音
居心地の悪い空間
私たちは常にこれらに囲まれ・心を乱され・疲弊しています。
私たちはどう嫌いなもの達と向き合っていけば良いのでしょうか?
非常に難しい課題ですよね。特に嫌いな人と付き合わなければならない・顔を合わせなければならないことに頭を悩ませ・苦しんでいる方 大勢いらっしゃると思います。
そもそも自分が何かを嫌う時 自分の心はどんな動きをしているのでしょうか?
目の前にある 出来事・人物を 好きか・嫌いかを判断しているのは自分自身の感情です。
あくまで自分自身の心の中で その出来事・人物が嫌いになっているのです。
自分の心の中に物事の好き・嫌いを判断する感情があるということです。
これが怨憎会苦がどうにも避けられない苦しみだと言われる理由です。
世の中に好きなものと嫌いなものとが客観的に存在するだけのなら 嫌いなものから距離を置けば良い話なのです。
しかしそうはいかないのです。
何故なら嫌いなものを作り出しているのは自分自身の感情だからです。
いくら嫌いなものから距離を置いても また新たな環境で違う嫌いなものを自分で生み出してしまうのです。
だから嫌な出来事のない環境を探す・嫌いな人と会わないようにするという事は不可能だと言えるのです。
私たちは生きていれば自分の周りに嫌いな人・嫌いなものを生み出してしまう。
この事実をまずは素直に受け入れることが大切なのです。
そして大切なことはその嫌いなもの・人に自分の意識を支配されないことです。
人は心は自分の嫌いなもの・人に過敏に影響を受けてしまいます。
あなたにも経験があるのではないでしょうか?
嫌な人のことを考え機嫌が悪くなり 他の人にキツく当たってしまったこと。
嫌なことが起きて気持ちが落ち込み 何もやる気が出なくなってしまったこと。
これではいけません。嫌いな物・人はあなたの人生の一部分にしか過ぎないのですよ。
その一部が全てであるかのように感じて 人生そのものを支配されてはいけません。
「怨憎会苦」は、どうあっても「無くする」ことはできない
これをしっかりとまずは受け入れ それらに感情を支配されてしまうのではなく
自分の心の内面に接する・問いかけるきっかけであるもの 嫌いな物・人は私に何が大切か・どんな願望があるのかを気づかせてくれる貴重な存在であるものと捉えましょう。
嫌いな物・人などそんな物ですよ。あなたがくよくよ考えるほどの存在ではありません。
自分の心と向き合ういいキッカケになったと思い 心の一部分程度の扱いで気楽に接していきましょう。
合掌